本研究は頼春水の漢文紀行『負剣録』の成立過程と文学的主張を追究したものである。徂徠学派からの詩風の転換に関する研究は、従来ややもすれば詩を中心に論じられることが多かった。本研究は春水の紀行文を取り上げ転換期の様相を論じた点で意義がある。また、浅井氏の主張が春水自筆稿本や書簡等を用いた丁寧な検証に基づいてなされている点も評価できよう。
現在までの研究史上においてまだまだ手薄であると言える江戸中期の狂言作者、および常磐津の所作事について、的確な資料に基づいて実証的に検証し、新たな知見を打ち出した点で意義が深い。広い視野をもって資料を見渡し、適切に用いている点や、論述の方法が手堅く明確である点も含め、高く評価したい。
以上の理由から、選考委員会は、本論文を、二〇二二年度、第十九回日本近世文学会賞受賞にふさわしいものと判断した。
本論文は、下河辺長流による『続歌林良材集』を詳しく調査分析するとともに、『晩花集』の和歌を読み解くことで、長流の詠歌の方法が学問と実践とを結びつけたものであることを具体的に解明した。長流の和歌に対する姿勢についても、新しい趣向を一首の中に積極的に入れ込もうとしたものと捉えており、従来評価が高いとは言い難かった歌人長流を、堂上和歌と対置させることで再評価し、近世初期の和歌史に位置づけている。
論旨、論述ともに明快であり、いくつもの用例に基づいた緻密な分析は、論文として説得力を持つ。また、長流の歌風を実作によって正面から的確に論じ得ていることも高く評価され、今後、近世地下和歌を論ずる際の指標となることが予想される。
以上の理由から、選考委員会は、本論文を、二〇二一年度、第十八回日本近世文学会賞受賞にふさわしいものと判断した。
本論文は、『太閤記』巻十四の「瀬川采女説話」が、江戸時代を通じて小説や演劇に取り込まれ享受されていった様を、妻・菊の貞女性を軸に分析し、その展開を明らかにしたものである。浮世草子その他の散文においては、妻・菊の美貌や教養、夫との仲睦まじさといった描写の増加によって菊の貞女性のイメージが増幅される一方、演劇においては、義理と人情の葛藤という構図の中で貞女の一途な愛が強調され、原型をとどめないほどに悲劇性が強められる場合のあることを、丁寧かつ明快に描き出している。複数の媒体における先行作品の利用やイメージの定着過程の分析の仕方も注目され、これらの点を高く評価したい。
以上の理由により、選考委員会は、本論文を、二〇二〇年度日本近世文学会賞受賞にふさわしいものと判断する。
本論文で、三宅氏は、近世後期の讃岐高松藩家老職で、馬琴周辺の人物として知られる木村黙老の蔵書について、副題の多和文庫蔵『書籍目録残欠』を黙老のものと確定し、『残欠』が、いったん散逸の上、現在複数の機関に所蔵される黙老旧蔵本を同定するために、必須の「ツール」であることを示した。論述の広がりは、馬琴のみならず、書物を媒介とした当代文人との交流にも及んでいる。本論文の価値は、地道な原本調査の結果を、緻密な分析、明晰な論述によって、文学史研究に資する、実証的な内容にまとめ上げたことである。蔵書家黙老への認識の深まりは、近世後期における武家知識人の文化的成熟度を示す指標にもなり得るものであろう。また、地域・他分野との連携による文化史・地方史研究への足掛かりとしても発展の余地があり、本論文のもつ様々な可能性に期待したい。
以上の理由により、選考委員会は、本論文を、令和元年度日本近世文学会賞授賞にふさわしいものと判断する。
元禄・宝永・正徳期京都の書肆作者林義端(九兵衛・文会堂)については、詳細な年譜考証・出版活動の研究が備わり、近年新たに奇談集『玉櫛笥』・『玉箒子』の翻刻テキストが刊行されたが、従来、多くの研究者にとって主要な対象とは言えなかった。本論文は、『玉櫛笥』の典拠として、従来知られていなかった、現存不明の室町物語『業平夢物語』と中国文言小説『続艶異編』の二話を明らかにするなど、典拠考証の正統的手続きを踏まえて、書肆作者義端の存在を再認識させた。森氏は、冷静な論述に終始し、和漢にわたる原拠との細心な比較考証を通じて、古義堂の漢学者である義端の面影をも、魅力的に浮かび上がらせている。何より、透徹した作品の「読み」が、読者に浅井了意と都賀庭鐘をつなぐ奇談作者という予感をもたらす、本論文の説得力を高く評価したい。
以上の理由により、選考委員会は、本論文を、令和元年度日本近世文学会賞授賞にふさわしいものと判断する。
『春色梅児誉美』の版元として知られる大島屋伝右衛門については、「中本」(特に人情本)出版の代表的な担い手として知られるものの、その詳細についてはあまり明らかではなかった。本論文は文化年間から大正時代に至る貸本屋書肆大島屋伝右衛門三代の活動と、「貸本問屋」という業態を明らかにするものである。歴代伝右衛門については幕末・明治期の出版資料や聞書などの資料を駆使して精査し、文学史上も重要なこの書肆についての明確なイメージを持つことを可能なものにした点は高く評価できる。
また、大島屋の出版活動を蔵版目録や原本の表紙文様・広告に着目し、明治期まで中本を印行していたことを明らかにしたが、松永氏の射程は広く、人情本の文芸的考究にとっても示唆する点が大きい。さらに、「貸本問屋」について「貸本向けの書籍を出版・蔵版し、それらを卸す問屋としての機能を有した書肆」という概念を提起し、その業態を明らかにした点も含めて、日本近世文学研究者が共有すべき基礎的知見をもたらしたものと言える。
本論文の最後には大島屋の書物流通の実態を解明する過程で丁子屋平兵衛との関わりに着目しているが、これらの課題意識もこの時期の大局を見据えた論へと展開していくことが期待されるものである。
以上より、選考委員会は、本論文を平成三十年度日本近世文学会賞受賞作にふさわしいと判断した。
本論文は、著名な実録であるにもかかわらず、これまでは主に歴史学の分野において研究されてきた「佐倉惣五郎物」実録をとりあげ、その全体像を明らかにするものである。荻原氏は、佐倉惣五郎に関する実録を博捜し、三十二種の写本が地蔵堂系と騒動記系の二系統に大別できるという新見を提示した。地蔵堂での通夜物語りであるのか否かという形式や惣五郎の出身地など本文の特徴を根拠にする分析は的確で、結論は説得力に富んでいる。また、二系統の写本がそれぞれに発展していく順序についての解析も精密で手堅い。
本論文が、実録諸本の系統整理にとどまらず、他ジャンルに与えた影響について考察している点も評価に値する。荻原氏は、従来注目されていなかった写本『佐倉花実物語』が、一連の事件を描く騒動記系の筋書きに惣五郎の先祖の物語と若年期の物語を付け加えた、佐倉惣五郎という人物を中心に描く画期をなす実録であるとし、同写本が松亭金水作の読本『忠勇阿佐倉日記』の素材として受容されたことを登場人物名や筋書きの比較を通して論証している。
「佐倉惣五郎物」は近代に至るまで広く親しまれた実録であったから、演劇や講談との関連の究明など、今後のさらなる研究の進展が期待される。
以上の理由から、選考委員会は、本論文を平成二十九年度日本近世文学会賞該当論文として選出するものである。
本論文は、北村季吟の自筆本であり、季吟の師箕方如庵の講釈を筆記し、『湖月抄』以前に成立して、『湖月抄』に参照されているという天理図書館所蔵『源氏物語打聞』について詳細に検討した論である。『打聞』に関する通説は長らく踏襲されてきたが、宮川真弥氏は『打聞』の書誌など基礎的な研究を踏まえ、その注記について総合的に検討した結果、『湖月抄』以後の成立であり、年代的に師説ではあり得ないことを論証している。さらに『打聞』巻二の紙背文書の一部に「徒然草拾穂抄」があり、その章段を含む『徒然草拾穂抄』の筆写担当者は季吟の孫季任であることを指摘し、類似する季任と季吟の筆跡を比較検討した上で、『打聞』は季任筆である可能性が高く、施注の在り方から季吟の影響下に成立し、『湖月抄』の注釈書的性格があることを証している。同じ紙背文書に「伊勢物語」注釈の箇所があり、やはり『伊勢物語拾穂抄』の注釈となっていることを明らかにし、古典の季吟注をテキストとして北村家で講釈がなされ、季吟注自体が施注の対象になっていることまでを論じている。『源氏物語打聞』成立等に関する通説を実証によって覆すとともに、従来不明であった歌学方北村家の古典学の有り様を明らかにしている点でその業績は少なくなく、また北村季吟及びその学統について、今後さらに解明することが期待される。よって選考委員会は、平成28年度の日本近世文学会賞該当論文として選出するものである。
本論文は、幕末の儒家で攘夷論者として知られる藤森弘庵の漢詩集『春雨楼詩鈔』の諸本間にみられる本文の削除や修訂箇所の精査を通して、幕末の出版検閲のあり方を明らかにするとともに、明治初期の勤皇志士顕彰運動に乗じた弘庵門下による弘庵遺作出版の気運にも言及したものである。筆者はまず、『春雨楼詩鈔』の諸本を本文の削除の有無によって三系統に分類するが、先行研究である望月茂『藤森天山』が三系統を完本から順次削除が行われたものと見なしたのを批判し、三系統は基本的に同版であり安政年間に削除された箇所が実は明治初期に埋木修訂された部分もあることを発見した。背景に、太政官作成の記録「春雨楼詩鈔官許御達」や依田学海の日記『学海日録』等の記事を傍証に門人による弘庵遺作出版の気運を見据えているだけに、説得力がある。その上で、本題である幕末(安政年間)の削除状況を明らかにしていくが、それが林家の指示でなされたことを証明した後、削除箇所の詩句を詳細に分析し、削除対象は幕府の海外対策への批判に当ると判断された箇所であり、しかも多分に恣意性に流れた検閲であると指摘する。勤皇志士への影響を恐れて過敏になっている林家の検閲状況を言い得た筆致は絶妙で、幕末出版史の一面が、背景をなす幕末・維新社会の動向とともに鮮やかに浮かび上がった。明確な論旨が精密な書誌調査や周辺資料の検討に支えられている点、論文としての完成度がきわめて高い。修訂されていない箇所の意味づけの必要性を述べるなど、課題意識も明確で今後の発展が大いに期待できる。よって選考委員会は、本論文を日本近世文学会賞該当論文として選出するものである。
授賞対象論文は、所在不明の上方版『私可多咄』について、下里知足の自筆雑記『徳元玄札両吟百韻』に収録された無題の笑話に着目して、その復元を試みたものである。
中川喜雲著『私可多咄』は初版の上方版は所在不明であり、江戸版のみが現存する。山東京伝『骨董集』に一部引かれる上方版の本文は江戸版との間に異同があり、失われた上方版は明らかに江戸版とは異なる本文を有したことが想定される。これについて、下里知足の自筆雑記『徳元玄札両吟百韻』に収録された無題の笑話が、大部分江戸版『私可多咄』と内容が共通するものの本文に異同があることに着目し、江戸版の本文との異同の分析を通して、筆記された笑話が上方版『私可多咄』の抄出であると推定し、上方版に存した笑話の原型を復元しようとし確実な成果を示した。さらに上方版『私可多咄』は書名の通り「仕形咄」を意識的に文章化した書であり、話芸を文章化する西鶴の文体にも通じる可能性について触れ、加えて上方と江戸の文化の差異についても言及した。
『徳元玄札両吟百韻』から無題の笑話を発掘したことに大きな意義があり、笑話の本文から上方版本文の復元を試みる過程は実証的、堅実で説得力を持つ。上方と江戸の文化の差異、西鶴の文体論に発展する可能性をも示し、近世初期の文学史的空隙を埋めることに繋がるものとして今後の展開が期待される。
以上の理由から、当該選考委員会は若手研究者の研究を奨励し、日本近世文学研究全般の発展に資することを目的とした日本近世文学会賞の主旨に鑑み、河村瑛子氏に同賞を授与するものである。
百二十巻以上に及ぶ「大日本史」を五十点近く調査し、その諸本関係を明らかにしつつ、江戸中期の流通テキストが正徳本によることを確定し、「南朝編年紀略」の利用態度から、その独自性と現状肯定の視点を見出した。その広範・精細な調査と着実な成果、さらには学界への裨益という点で、学会賞に値するものである。あわせて、懐徳堂の「大日本史賛藪」書写が本文校訂のためであった点や、偽書性の濃い「桜雲記」を「紀略」が採用している点などは、秋成の大日本史受容や軍記・読本作家の南朝史受容に、新たな視角をもたらすもので、今後の進展も期待される。
山本北山の技芸論を、序跋文の収集と読解という地道な実証作業を通して検証し、非修身としての技芸という反朱子学的態度、反主意主義的な性霊説理解という非陽明学的態度、この二点において折衷学派の典型たる北山の詩文論のあり方を指摘して極めて明晰明解である。北山の擬古詩文批判を、性霊説との関係という従来の論の枠組から解放し、その詩文論を「純文学」ならぬ「純技芸」の論として再認識すべきだとする主張に説得力がある。また、この成果は思想史研究につながってゆくことで、今後大きな視野をそなえた論の展開も期待される。
受賞対象論文は、『英草紙』執筆に際して典拠として用いられた「三言」ならびに『今古奇観』について、作者都賀庭鐘が両者を校合しつつこれらを利用していた実態を具体的に明らかにし、『英草紙』の成立過程の一端を解明したものである。
『英草紙』における「三言」および『今古奇観』の利用、校合の形跡については、はやく中村幸彦氏によって示唆されていたが、当該論文は、『今古奇観』諸本についての精緻な調査から、まず庭鐘が依拠したものが「同文堂本」であることを立証した。さらに、これに基づいて、『英草紙』二・三・四・九編において、庭鐘が基本的には「三言」をベースとしつつ、小説として説得力がある場合には『今古奇観』を利用していたこと跡付けた。
当該論文の精力的かつ精密な諸本調査に立脚した立論には説得力があり、また、その結論は、読本作者の白話小説受容という視点に立った文学史的視野の拡がりをも内包している点で今後の展開が期待される。
以上の理由から、当選考委員会は、当該論文が、従来の典拠論の精度をさらに高める手法を開拓したものであるとともに、それが単なる方法論にとどまらず、今後の読本研究にむけた可能性を提示したものであるものと判断した。
よって、若手研究者の研究を奨励し日本近世文学研究全般の発展に資することを目的とした日本近世文学会賞の主旨に鑑み、丸井貴文氏に同賞を授与するものである。
平成21年度(第6回)日本近世文学会賞
日本近世文学会賞規約により、平成二十一年度日本近世文学会賞は、『近世文藝』九十、九十一号に掲載された論文中の、六編が選考対象となった。選考委員会において審議した結果、受賞者は、早稲田大学大学院生、山形彩美氏に決定した。
〔受賞論文〕
『近世文藝』九十一号掲載「安永十年与謝蕪村作「武陵桃源図」を読む」
■受賞理由
当該論文は、「武陵桃源図」に描かれた桃源郷の構造、人物の動き・配置などについて解析したものである。山形氏は、画中に書かれた袁中郎の詩の意義をとらえ直して画と関連づけ、さらに桃源郷に関係する画と詩の世界を広く渉猟する。そうすることによって、右幅左幅とも桃源郷は画面手前が入口になっていること、右幅は桃源郷の住人が老いた漁師を温かく迎え、左幅は桃源郷で若返った漁師を見送る図であり、右幅から左幅へ時間が流れているという読解に導く。この読み解きは、代表的な先行研究である芳賀徹氏の、桃源郷の人々が、右幅では漁師を阻み、左幅では漁師を追い返すという不自然な解釈を排するものである。画と詩に対する素直な読みがもたらした成果であり、選考委員会は本論文が高い評価に値すると判断した。
平成20年度(第5回)日本近世文学会賞
■受章者
田草川みずき(たくさがわ・みずき)氏 日本学術振興会特別研究員
■受賞論文
『近世文藝』89号掲載
宇治加賀掾の浄瑠璃芸論『竹子集』序文と『塵芥抄』系謡伝書
―進藤以三著『筆の次』との関わりを中心に―」
■受賞理由
田草川みずき氏の論文「宇治加賀掾の芸論『竹子集(たけのこしゅう)』序文と『塵芥抄』系謡伝書―進藤以三(いさん)『筆の次(ふでのついで)』との関わりを中心に―」は、加賀掾最初の芸論『竹子集』序文について、その典拠を『八帖本花伝書』とするこれまでの定説を覆した。すなわち、それは『八帖本花伝書』よりも、観世座脇方の進藤以三によるその解説書の、なかんずく、以三による補筆部分によりよく対応することを明らかにしたが、この考証は単に出典の変更にとどまらない。その結論を得るための綿密な比較検討の過程で、加賀掾がこの書を誠実に読み込み、名実ともに浄瑠璃の手本にしようとしていることを論証して、その謡に対する態度が既成の権威を利用するといった表面的ものではなかったことをも同時に明らかにしたのである。
論者はなお、能楽界における脇方進藤流と加賀掾の出身地紀州とのつながりなど、歴史的な目配りをも怠らない。論文はそのことをも併せ、浄瑠璃史の研究の重心を、外面的な動態から内面的な形成に移す契機となる意義を有すると考えられる。
日本近世文学会賞規約により、平成二十年度日本近世文学会賞は、『近世文藝』八十六、八十七号掲載の九編の論文著者が候補対象となった。選考委員会で審議の結果、八十七号掲載の「礪波今道と上方の和学者たち」を著した総合研究大学院大学大学院生、一戸渉氏に決定した。
当該論文は、これまでその名は知られていたものの、実像が不明であった礪波今道について、故郷の高岡に残る諸資料を掘り起こし、彼が秋成同様に、建部綾足門から宇万伎門へ移行した人物で、高岡の漆芸家辻丹楓その人であるという伝記的事実をはじめて明らかにしている。その結果、彼と交流のあった橋本経亮・川口好和・内池益謙ら、上方和学者達の人の拡がりを大きく捉えて、この方面の文学史総合化にむけての確かな視座の提示にも成功している。加えて本論文は、国語学方面にも寄与するところがあり、文学史事情に貴重な増幅を果した点とあわせ、「日本近世文学会賞」に相応しい好論であると、選考委員の一致して認めたところである。
日本近世文学会賞規約により、平成十九年度の日本近世文学会賞受賞については『近世文藝』第八十四、八十五号掲載論文中の五編の投稿者が選考対象となった。選考委員会において検討した結果、受賞者を「『賀古教信七墓廻』の上演年代について」を著した園田学園女子大学近松研究所専任研究員井上勝志氏に決定した。
「『賀古教信七墓廻』の上演年代について」は、近松門左衛門の浄瑠璃『賀古教信七墓廻』の初演時期を、先行研究の成果を十分に踏まえ、着実な考証によって上演の年次を推定したものである。すなわち、宝永五年から六年の大内造営、宝永四年の大念仏寺十菩薩来迎法要等の史実との関連を指摘し、さらに詞章の細部の具体的な検討によって、宝永六年四月の上演と推定している。基礎的な作業としての年代推定は、作品の性格付け・評価における新見の提示にも結びつくものであり、宝永という時代が近松において有する意味についても、実証に基づく新たな見方を提示している。加えて、文体も含め、論文としての完成度も高く、受賞作として妥当であること、選考委員の一致して認めるところである。
日本近世文学会賞規約により、平成十八年度の日本近世文学会受賞については、『近世文藝』第八十二号、第八十三号掲載論文中の七編の投稿者が選考対象となった。選考委員会において、先ず七編の論文から三編に対象を絞り、さらに討議を重ねた結果、平成十八年度日本近世文学会受賞者を「『椿説弓張月』の方法」を著した奈良女子大学博士研究員久岡明穂氏に決定した。
「『椿説弓張月』の方法」は、曲亭馬琴著『椿説弓張月』が「鎮西八郎為朝外伝」と角書するところから、「為朝外伝」に村する「内伝」を『参考保元物語』に求め、同書において為朝の没年と享年に諸説が挙げられていることに注目する。そして、この諸説定まらぬ歴史の空自をその他の資料をも援用しながら、馬琴が利用し、為朝を伊豆大島で自殺させず琉球へと渡らせたとする。馬琴のこの考証を『椿説弓張月』の構想に関わると説き、馬琴における「史実」と「虚実」の問題を創作手法の視点から論じ、新たな見解を導き出している。また、大作に対して正面から取り組んだ真撃な姿勢や実証的な研究方法などにも、今後の発展も期待されると、これらが総合的に評価されての受賞である。
日本近世文学会賞は若年研究者を対象として設けられたものであり、審査対象は第八十号・八十一号掲載の論考からとなったため、今回の対象論文は六本。編集委員会における慎重な検討の結果、東京都立大学(院)牧野悟資氏「『狂歌波津加蛭子』考―石川雅望の狂歌活動再開を巡って―」に決定した。
同論文は、『狂歌波津加蛭子』を巡って、関連資料を丹念に拾い直した結果、雅望が判者を務めた月並の運営が、従来の説である寛政十二年ではなく、文化二、三年であるという結論を導きだした。また、雅望が、尾張藩上屋敷の関係者と家業による繋がりがあって狂歌活動にも絡んだなど、興味深い点をも指摘している。
従来盛んな狂歌研究の分野の、オーソドックスではあるが着実な研究方法によって、明快な結論に至る点、さらに今後の展望をも明示している点などが評価されての結果である。